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いきなり夢のない話ですが、私自身の現実の姿はほんとうにしょーもない見た目をしている。
それでもまぁなんとか化粧やファッションでうまいこと現実で生きてやってきたのだが、大量のコンプレックスを抱えた自分にとってVRCはまさにセカンドライフそのもの、見た目も体形もなんなら性別すらも好きなものを選べる。
現実ではバカにされて着れなかったようなかわいい服も、年齢で諦めたミニスカートも、ルッキズムに押しつぶされて諦めたいろんなものがあふれていた。
ただ単に「可愛くなれる」だけではない。
まだまだ時代が古く、ピンクの服を着ればぶりっこといじめられ、スカートをはけば足が太いだ年齢を考えろ、かといって地味な服でいれば嫁にいけないだ垢抜けないだ、もう女性として生きてるだけでやんややんやと口を出された時代を生きた自分にとって、やっと「本当に自分が選択したかったもの」をなんの圧力もなく、自分の意思だけで選択ができるという自由が本当に嬉しかったのだ。
アバター=自認という話ではなく、アバターは自分自身の中にあった本当の欲求や幼いころにある「選べなかった」という悲しい思い出を昇華させてくれる大切な存在であると思った。
現実であの服可愛い~着てみたい~となってもその後ろにつく言葉は「でも年齢が」「でも体形が」「私には似合わないし」とかそんなんばっかりだ。
でもVRCに行けばどこどこの新作が~とかどこどこのブランドが~と話してたって金額面で諦めるとかそれくらいしか否定のワードが出ない。服に対しても似合うか似合わないかじゃなくて対応があるかないかである。(対応してなくても今はもちふぃった~等もあり本当に選択に自由がある)
もうほんとこれが自分にとっては革命クラスに生きやすい。
他人に見た目で評価されることを恐れて自分を押し殺さなくていい、という自由。
これは本来、どんな人にだってどんな格好をする自由はあるのだが、やはりその中で本当に自分がしたい選択を出来る人は少ないように思う。その呪いをほどいてくれるのがVRCなのだ。
大切なのはこの「経験」である。
自分が本当に選びたいものを選んで、着ることができる。
それに対し似合わないとかブスのくせにとかデブがババアがと陰口をたたかれる不安もない。
だって自分のアバターはめちゃくちゃ可愛いので。それに対して文句言う人が居ても「どう考えたってかわいいだろ」としか思えない。なんだこの違いは、本当に驚いた。
多分現実のかわいい子たちや爆美女もこういう気持ちなんだろう。
この経験を知っておくだけで、自分が歩めなかった道が見えた気がした。生まれ持った顔は選べないし、境遇や家庭環境、遺伝や病気、骨格や代謝は選べない。配られたカードで戦うしかない現実と、大量にある情報の中から自分の好きを詰め込んで自分史上最強の存在を生み出せるVRC。
多分現実だけじゃたどり着けなかった自信のある自分と出会えたのだ。とても幸福だと思うし、自信のある自分と出会わせてくれた自分のアバターたちにとても感謝している。いつもありがとう。
やっと本題に入っていくのだが、じゃあ「本当の意味」ってなんぞやって話なんですが、なんと見た目が可愛くなり「今の自分(アバター)はかわいい」という自信があると見た目も言動も変わってくるのだ。
現実の私は褒められても何一つ受け止められない。お世辞としか思えないしなんならバカにされてると思う節すらある。
それは自己自認が完全に「ブス」「デブ」「ババア」などよくある悪口でラベリングされてしまってるからだ。
でもVRCに居る時に改変を褒められると素直に嬉しくなる。だってアバターは可愛いし、お洋服もクリエイターさんたちが丹精込めて作ってくれた素敵なものばかりだ。なんというか、現実よりも根拠があるのだ。
例えば現実で安物の服を着てるとバカにされたり見下されることがある。でもVRCで無料の服を着ててもむしろショップを教えてほしいと言われたり、お揃いしてくれたりただのコミュニケーションでしかなかったりする。値段が安いという事すらマイナスにならない世界で否定の根拠を見つける方が大変なのだ。
ただ、ここまで書いててちょっと言いたくなったのは、だからといってVRに依存してはいけないし、現実をおろそかにしていい理由にはならないよという事を書いておきたい。
あと中身はどちらでも共通なので、見た目が良くなったからといって人間性の深い部分まではいきなり変わったりはしない。
それとこれは別で、別だけど体験出来て良かったなという話がしたいのであり、だから現実とか捨てちゃおうということではない。別に現実で自分磨きをしてもいいしどちらも尊いものである。これだけはこの辺で一度書いておく。
つまり、アバターを通して自分が変わったと感じている。
褒められても素直に受け止めれるし、どうせお世辞でしょといじけることもない。そんな体験を自分ができると思わなかったのだ。
そしてだんだん、行動も言動も変わってくる。
これは男性でもなんとなくわかってもらえる気もするが、自分自身が非常にかわいいので、かわいくない動きは出来ないし可愛くない言動も出来ないのだ。本当に自分のアバターを愛している人ほど、汚い言動をしたりしないイメージもある(たまにそのギャップが面白いと思ってやってる人もいる気がするが、なんとなくどこでも浮いてしまってる印象すらある)
↑この、自分のアバターを愛するというのもなんだか不思議な体験で自分が中に入り動かし、自分であるけど自分じゃない存在で、でも自分ととても密接な存在ってとても不思議だと思う。現実の自分をそのまま愛せるかと言われるとなんとなく難しいところもあるが、アバターになると全然大好きで愛せる存在である。
とかいろいろ寄り道話なのだか、つまり、可愛い改変アバターを手に入れ、愛して大切にしている存在の中に自分が入ることで今までの自分だったら言えなかったこと、出来なかった行動がすんなりと出来るようになった。ほんとに第2の人生。
お砂糖ノートの時も現実の自分だったら出来なかったことをたくさんした。自分自身だったら出来なかった言えなかったことを私のアバターが話させてくれた。重ね重ねなのだが私は自分のアバターに本当に感謝している。自分が死ぬときはデータも一緒に墓にいれてほしいくらいだ。
ただの可愛い女の子のロールプレイであれば、きっとほとんどの人が経験しているし、というかそれ目的の人も多いだろう。
私はロールプレイとしてではなく、現実で歩めなかったもう一つの道を見て、幼かったころ選べないまま傷跡になってた選択を自分の意思で選べる日が来て、自信ある自分を知り、自分を愛せる幸せを知ったのだ。
VRCの遊び方は様々ある。
友達を作るも、物を作るも、ゲームとして遊んでもSNSとして使っても良い。可愛い女の子のロールプレイをしたって、イケメンのロールプレイをしたって、人じゃなくなっても性別を変えても、人々は自由になれる。
そんな世界で私は私と向きあうツールにしているのかもしれない。自分の元々の心の醜さも知るし、蓋をしてた感情も知るし、傷跡と向き合うときもある。でもまだ変われそうな自分も知る。
どうかこの不思議なバーチャルリアルの経験をプラスの方向へ、明るい未来へつなげていけたらいいなと思いながら今日も私はゴーグルを被るだろう。